先日亡くなった母の親友、Hちゃんの初盆。
母が、300キロ先にあるその友人宅の仏壇に手を合わせに行きたい、と。
天気が良いからバイクで行こうと思うの、と。
キャンプして来ようかと思ってるの、と。
おぉ。
行ってらしゃいませ。
私は会長のごはんもあるし、急にはどこにも預けられないし、花ちゃんの夜のお散歩は任せなさい。
と一週間くらい前から話していたのに、母は当然のように突然趣旨変えをした。
”ツーリングの話したいから、Uちゃんのお店一緒に行かない?私が奢るよ^_^”
とメールが来たため、奢られながら話は決まったはずだった。
ちなみに、この「私が奢るよ」のセリフが無い場合、いつもどんな時でも私が払う。
良く考えれば考える程、なんだか理不尽な親子関係。
その翌日のam7時半。
またメール。
”おはよう^_^
朝からごめんね。
今週やっぱり予定変更して、都合の良い日でいいから明日か明後日に一緒に日帰りしてこよう。
6時に出発で、常呂で牡蠣とか食べて、手を合わせて、帰ってこよう。
戻りは7時位になるけど、土曜と日曜どっちがいいか、都合わかったら教えて^_^”
はて。
このメールを解読してみよう。
POINT1★
朝からごめんねと言いつつ、朝だろうが深夜だろうが母は関係なくメールを送ってくる。
特にごめんねとは思っていない事がいきなり伺える。
POINT2★
私の都合の良い日でいいと言いつつ、既に「明日か明後日」に決まっている。
私には「明日か明後日」のどちらかで都合をつける以外に選択肢は無い。
POINT3★
都合を聞いておきながら、6時出発で牡蠣とかを食べて手を合わせ、7時位に帰ってくる事は決定済み。
POINT4★
都合わかったら教えて^_^
↑↑
土日のどっちかの朝6時発で行程も全て決まっており、前述の通りほぼ選択肢無。
もうそんなんなら明日行こうよ明日。
と決まりかけたのに、
”ちょっと待って。明日雨マークだ。日曜の方がいいかも。”
”大丈夫だ。私に雨は降らない”
”じゃあ明日、5時に電話する?”
何だか信用されていない私。
起きなかった事は無かろうに。
という事で、翌日の8月5日土曜日。
私は急遽母に同行し、午前6時、ロングロングツーリングへと旅立った。
ちょいちょいタバコ休憩を挟みつつも、ほぼ予定通り12時半にはお昼ごはんの海鮮炭焼きにたどり着いた。
ざっくりこの辺。
もう10年以上前、まだ私に実家というものがあって母がその家に暮らしており、帰省した折。
2人でキャーキャー言いながら、何度か来ていたお店。
ぬ?
あぁ。
キャーキャーというのは全くの嘘で、ほぼ無言。
会話を楽しんでる場合じゃないんだな、これ。
真剣に無言な炭焼き。
この値段で超絶新鮮なこの海鮮類を食べると、飲食店で食べたりスーパーで買うのがアホらしくなってしまう。
買うけど。
食べるけど。
だけど、これを食べにここまで来るのが、ね。
バイクですっ飛ばしても3〜4時間。
ちょっと遠い・・・。
「はぁっ(;´Д`)!!
お昼くらいに行くって言ってたのに少し遅れるって連絡するの忘れてたっ(;´Д`)!!」
いや、それ忘れちゃいかん。
「これ食べたら行こうっ(・∀・)!」
14時頃に無事Hちゃん宅に着き、そこには花ちゃんのパパと姉弟3匹がいた。
私は初めてお目に掛かりました。
どの角度から見ても、パパも姉弟3匹も花ちゃんの半分のサイズ。
花ちゃんは特別変異で大きくなったとしか思えないぐらい、みんなハーフサイズ。
花ちゃん、なぜ??
そうそう。
お仏壇にはタバコまで置かれてて、何かあったかいお仏壇だった。
私の記憶の中では、15年前。
母とHちゃんが飲みに行くのを私が車で送り、その車内で2人とも容赦なくタバコを吸っていた。
小さい車なのに。
と、あんまりのんびりしてる時間も無いので、15時にはお暇を。
再出発後に給油、30分程走ったところで一旦コンビニ。
「なんか足がフワーってするの(´・ω・`)
ほら、歩いたらふわっふわする…(´・ω・`)
ドリンク飲んで元気つけないとダメかもしれない私_| ̄|○」
そりゃあ朝からもう8時間以上走り続けてるし、田舎道だからそれなりにスピード出たまま文字通り地に足付けてないからね。
恐らく誰でも、ふわっともフラッともクラッともする。
「リポビ◯ンD・・・これ飲んでみるか・・・(`・ω・´)」
「ちょっと待って。調子悪いなら150円で安全を買おうとしちゃダメだ。
買ってあげるから。それはケチっちゃだめだって」
「150円じゃダメかいっ(´;ω;`)!」
「だめ。」
こうして私たちは、600円で『元気』と『安全』を買った。
「明るいうちに何とか峠は越えようっ(`・ω・´)/!
頑張るぞーっ(*´∀`*)!」
「ウェーイ!」
お互い若干疲れが出始めているものの、疲れたと言葉に出すと余計疲れる事を知っているため口には出さず、テンションが微妙におかしくなってきてる。
ま、いつもの事。
日没は19時。
現時刻は15時半やや過ぎ。
峠は余裕でしょう。
と思ってたのに、こういう時に限って遅ーーーい車に捕まってしまう。
遅ーーーい=眠ーーーい。
峠の頂上はどうにか越えて、温泉街のトイレ前で小休止。
「ダメだっ(´;ω;`)!眠いっ(´;ω;`)!!」
同じく・・・。
運転中の睡魔が一番危ない。
時刻は17時。
ふむ。
余裕。
この温泉街は、Hちゃんと母が最後の旅行に来た地でもある。
母が言うまでもなく、私が宿を予約してから普通に覚えてる。
終始、Hちゃんを想わずにはいられないツーリング。
この小休止からの出発時、観光客のおばちゃんが景色を撮影するフリをしながら私たちを撮ってた。
女2人のライダーが珍しいのか、コソコソ隠し撮りしないで声掛けてくれればいいのに。
何が変わる訳でもないけど。
何だかんだ20分くらい、タバコ吸ったりトイレ行ったりストレッチしたり。
そして、自分を奮い立たせたり。
「次峠降りたらあの入口じゃなくて出口側のスタンドで一回ガソリン入れようねっ(゚∀゚)!」
「出口側ね。おっけー」
これは共通認識が無きゃわからない会話。
そして17時18分。
いざ出発!
寡黙に走り続け(というか大前提としてそれぞれ単独で乗ってるから会話は無い)18時38分。
出口側のスタンド着。
ざっくりこの辺。
さて。
ここから。
「どっかいつも止まるあそこから、あっちに抜ける道あるはずなんだっ(*´∀`*)!」
「あぁ、あそこのとこね」
「曲がったらどっか曲がって、行けばわかるんだっ(*´∀`*)!」
「わからないと思ってついてくよ」
「だいじょぶだってーっ(・∀・)♪」
こういう時の母は、9割方大丈夫ではない。
地平線の向こう側の割りと近いところに太陽があるおかげで、日没の19時を過ぎても仄かに微かに、うっすーら明るい。
『あそこのとこ』で曲がったはいいものの、『どっか曲がって』の曲がり所を母は完全に間違えた。
どう見ても大きな街へと向かう道ではなく、ご近所のおばさん2人が立ち話してる、思いっきり住宅地と思われる小さな道路へ躊躇なく左折して行った。
こういう時、つまり母が自分の選択した道が本当に正しいのか自信が無い時。
必ず後ろを走ってる私の事をとても気にしながら確認する。
で、私が路肩に止まって初めて気づく。
”やっぱり違ったぁ(`;ω;´)” (←心の声)
そうして小回りが苦手な母は停止し、一度降りて、頑張って押しながらUターンして戻ってくる。
いつものパターン。
とてつもなく方向音痴なのに、なぜそこまで自信を持って全く違う方向へ進めるのか、母の頭の中の地図の見え方が私には未だに理解出来ない。
娘歴はそれなりに長いけど、理解出来ない事はたくさんある。
そして恐らく、母の母歴も同じくらい長いけど、私に対して理解出来ない事はその倍以上あるだろうと思われる。
というか、あると言い切れる根拠がある。
そんな説明をしても仕方無いから、サクッと割愛。
ん?
あ、そうそう。
で、自力Uターンで戻ってきた母は
「違ったぁぁ(´;ω;`)??何違ったぁぁ(´;ω;`)??」
「道が違う。曲がって一本道に所まで前走るね」
「わがったぁ(´;ω;`)」
あ。
なんか今、唐突に文章書く気が失せた。
ていうか、全てのやる気をナゼか失った。
なんだろう。
ミジンコ人間がふと頭をよぎったせいかもしれない。
あのミジンコ人間は何だったんだろう、と。
ミジンコ過ぎて、単細胞過ぎて私の思考が追いつかず。
プライベートな話で申し訳ないけど、その位の単細胞人間を久しぶりに見たから何か言葉を放ちたくなったのかもしれない。
んー。
慎もう。
という事で、この日は約15時間。
約700kmの強行日帰りツーリングだった。
お互い別々の場所にバイクを格納し、最後のメールでのやり取り。
”無事に車庫入れも終わって、散歩に出ました。
本当に今日はお疲れ様^_^
約15時間のツーリング、お疲れ様。”
”同じく完了。
顔がかゆいな…
お疲れ様でした”
まとめると、楽しく海鮮炭火焼きを食べ、目的のHちゃんの仏壇へはたどり着き、紆余曲折ありつつも夜暗くなって無事帰宅。
そして二人とも顔がかゆい、と。
ま、そんな感じ。