大阪出張三日目。
本番といえば本番の日で、この日に限っては特筆すべき事は特にない。
ただ、ただただ仕事をしていた。
母には何度か私の仕事の説明を心掛けた事があるが、
「何か色々やってて難しいのね(´・ω・`)」
との一言が返ってきたので、それ以来は主だった、しかも超絶わかりやすいモノしか話してはいない。
んで、最終日。
最終日と言えども仕事をしに来ている以上、一分一秒たりとも至福のプライベートタイムなどなく、ただ仕事である。
そんな絶賛仕事中の昼頃、母からまたメールがあった。
”お疲れ様^_^
今日は何時頃のお迎えなの?”
なにー?
お迎えに来てくれるのー??
ではなく、
会長を母に預けて出張に行ってるので、
”今日帰ってくるんでしょ?何時にひめ迎えに来るのよ”
という意である。
早くも花粉に体中の粘膜を刺激され、目も鼻も喉もなんだかウジャウジャになっている私は、
3月の大阪で既に
『暑いっていうかあっづい(;´Д`)』
と汗ばみながら、移動と仕事をこなしていた。
ホテルもチェックアウトし、小さいけど見た目以上に激しく重いキャリーケースを引きずっているので、最終日。
もう何だかわかんない程ウジャウジャのグジャグジャである。
そんな状態でもとりあえずは国へ帰り、空港から駅までのJRに乗り、途中で母に”19時過ぎになりそう”と一応連絡。
出張は出張であり観光ではないので、私は出張の度に2〜3kg体重が落ちる。
会長のヘッドスライディングからのアキレス腱マジ噛みが無く妨げられるモノが無いせいや、水以外に買い物をしないので必然的に弱栄養失調気味になる、というのもあるのだが。
んで、帰宅の前に帰国。
の前に、母に”ごはん食べた?”と連絡したところ、花ちゃんの散歩中だったらしく”まだ。もう少しで戻る所”との事。
”じゃあ何か食べに行こう”という事になり、いつもと何ら変わり映えしない、あまりびっくりもしないハンバーグチェーン店へ。
「(私じゃないけど会長が)
お世話になったから、今日はごちそうするね」
と私が言うと、
「ホントッ(*´∀`*)??
じゃーねー
わたし・・・
ホンデュひゅー・・・
あれ(._.;)?
ホンデュひゅー・・・
ホンデュひゅー・・・
ほんでゅひゅーチーズバーグディッシュ(*´∀`*)♪」
「フォンデュ風チーズバーグデッシュね」
たった数日の間に、母は日本語すらも読めなくなっていた。
ほんでゅひゅーって・・・。
ひゅーって・・・。。
日本人より日本語喋れない何かみたいな・・・。
「それに和サット(*´∀`*)!」
SAT・・・?
特殊急襲部隊でも出てくるのかと思ったけど、和セット。
そして終盤。
「奢りならデザートも食べようかなっ(*´∀`*)♪」
もう好きにせいっ!
「だって私、この何日かずっと寝不足なんだよっ(´;ω;`)
ひめが2時3時から、
んみゃぁーぁ、んみゃぁーぁ!って、
起きるまでずっと鳴いてるんだからっ(´;ω;`)!」
「それはね。
もうすぐ朝になるよーって知らせてくれてるんだよ」
「夜中だってっ(`Д´;)!
2時だってっ(`Д´;)」
「もうサマータイム導入されてるからね・・・。
朝が早いと夜も早く寝付けていいじゃない♪」
「そうね・・・(怒)」
そうしてハンバーグフルコースを食べて、
『だふぁっ(・∀・)!』
と壮大なゲップをする母と共に店を出て会長のお迎えに行き、
後の三日間は、私も会長が全身から発する怒りと明らさまな怒りとに責め立てられていた。
お迎えから三日が経ったある日、どうにも出かけなければならない時間が迫っていたにも関わらず、私はベットで悠長に本を読んでいた。
すると会長が何気なく近寄ってきたかと思うと、うつ伏せになっている私の背中に、かつ私にお尻を向けて座り居眠りを始めた・・・。
時間は着実に迫っている。
しかし背中には会長が鎮座している。
どうにもならん(- -)
と思いながらも、これまた悠長に写真を撮って母に送ってみたところ、返ってきた文面はコレ。
”置いていった腹いせ”
・・・。
そーっすか・・・。
この後、全身をフルフルして会長を振り落としたら、アキレス腱に血が滲む程、本気で噛まれた。
「マジ噛みじゃなくて甘噛も覚えてね」
と一言添え、私はもっと痛みに敏感にならなきゃなーと、染みじみ思った。
数時間後、会長マジ噛みアキレス腱からは、黒い靴下に赤い斑点が付くほどに流血していたからである。
ルームメイトでも、痛覚の共有は出来ない、って事だろうなぁ。
って、じんわり痛いんだけど。
腹いせなら、まぁやむを得まい。